そこに喜びはあるの?ないの?惰性と慣れの境界線が見えない人は不感症

撮影場所:尾道

Sachi です♪

それを慣れだと言ってしまうの?それは慣れではなくて惰性だよ。

 

これはある人たちに対して、私が心の中で思わず突っ込んだ声です(笑)

慣れと惰性の境界線

慣れと惰性って、似てるけど違いますよね? 例えば、カメラの操作方法を聴いて、最初は指がうまく使えないとしても、これはやっているうちに慣れていきますよね?

 

これは確かに慣れです。慣れたら誰でも出来るってやつですね。

 

でも反対に・・・例えば会社で、与えられた仕事をとにかく黙々と処理していかないといけない場合、それを最初はすべて処理が出来なくても、慣れてきたら慣れた分だけ処理がたくさん出来るようになります。

 

これも確かに慣れ。ただ慣れで終わらせることも出来るけど、ちょっと違う。

 

同じように慣れて行くものであっても、どっちみち慣れるものではあっても、込める想い、こもっている想いが違うでしょ!って。

 

つまり、二つ目の慣れの方は、慣れた段階でそれはすでに「慣れ」から「惰性」に変化しつつあると言う事。

 

でも惰性だから悪い!って言ってるんじゃないです。

 

惰性になると、何も感じていない状況の方が多くなります。 慣れた時には、やらないといけないからただやっている、とりあえずやる、とりあえずこなす・・・みたいに何も感じていない時間が長くなるので、それに疑問を持たずに浸かってしまうと、やがて自分の中心が枯れていきますよってことです。

 

でも反対に同じ慣れでも、カメラの操作方法の慣れだと そもそもが私の歓びを増幅するものなんです!

 

慣れたことによって、私は私の思うように操作ができ、楽しみにより集中することができるからです。

 

そこが大きな違いであって、そこが慣れと惰性の境界線なんじゃないでしょうか。

 

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そこに純粋な喜びはあるのか?

つまりそこに【喜び】があれば「慣れ」で、ないなら「惰性」に進化させてしまったよねって言うことです。

 

惰性になってるな~って気づいたとき、そこで一度 自分を振り返ってみる。これは必要な慣れなのか、それとももう必要のない慣れなのか。

 

気づいて惰性を選んでいるのと、自分のパワーを信頼できずに惰性に進化させていくのは違いますから。

 

分からなくなれば、また初めに戻って私の喜びって何?って問いかけてみる。

 

とにかく一番いけないのは、無意識で過ごしてしまう日常です。ただやり過ごす毎日が一番危険なんです。

 

そやって何も感じていない時間を長く過ごすから、自分の気持ちが分からないという不感症が出来上がってしまうんですね(笑)

 

いつも自分のハートを意識して過ごす。 どんな時に何を感じるのか、どう感じるのか、自分は何を心地良いとし、何を心地悪いとしているのか しっかりと自分を感じてそれを知っている人は惰性と慣れの境界線が見える人ですね。

 

読んで頂き ありがとうございます。

 

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