一瞥体験 私の内側と外側の境界線が消えるとそこは全体があるだけ

撮影場所:神戸布引ハーブ園

Sachi です♪

前に一瞥体験で、私はいなかったと言いましたが、この言葉だけではちょっと分かりづらいようなので、付け加えておきますと・・・

私と言う存在そのものを否定している意味ではないんです。

 

私は存在していたけれど、一つのものから分離した、独立したと言うような、個ではなかったと言うことなんです。

 

でも私もあなたも、この幻想現実世界では別々に存在しています(と思っています)

 

あなたが自分の事を自分である、と認識しているように、私もかつては、これが自分だと思い込んで生きてきました。 その認識は、生年月日だとか、どこに住んでるとか、好きな食べ物は何でとか、仕事は〇〇ですとか、そんな生まれてから今日までのデータですね。

 

いまだ多くの人はそのデータの自分を、これが私だと認識していますよね?

 

でも、そのデータはこの幻想現実世界でしか存在していません。 そのデータは言わばエゴ(自我)そのものです。

 

なので、もし、そのデータをあなたの中から抜けばあなたはどうなりますか?

 

もし、そのデータをあなたから抜けば、あなたはいったい誰なのでしょう?

 

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私がいなかった

と言うのは、そのデータを抜き取って、ありのままを観たら・・・っとそんな感じなんですね。

 

データを私から抜けば、私の皮膚の内側と外側にあるはずの境界線はなくなるんです。 境界線がなくなると、そこに現れるのはあるがままの全体像。 そしてその全体はどこまでも一つのものだった・・・どこにも境目がない、区切りがない、離れていない。

 

たった一つの意識がその全体すべてを動かしていて、一つは、全体を言い、全体は、一つを言っていて、どこまでも分離がない。

 

それまでは「私」っと思っている私の体は、私が単独で、私の意識で動かしていると思っていたけれど(そうでもあるけど)、境界線がなくなってしまえば、それは全体の意識が調和のもと動いている、その流れの中のとても巧妙で完璧な一部分の動きにすぎなかった。

 

それを観じた時に、あれ?、私が(エゴ)が!生きていた!っと思っていたのに違っていた!と知ったのです。

 

つまり、私が、単独で生きているのではなくて、全体の流れの一部として生きている・・・全体によって生かされている・・・そしてまた私はその全体そのものでもあり、全体はまた私そのものなんです。

 

よく、生かされているっと言いますが、ほとんどの場合は、その生かされているっと言う人たちは、エゴに基づいてそう言っているので、私にはずっと違和感がありました、でもこの時はじめて、この言葉はここで使うんだ!!と思いました。

 

私の中を、その全体(エネルギー)が通っている。 もちろんそれはあなたも同じですが。

そしてそれを私は、私が生きているのではなくて、いのちが私を生きている、っと言っています。

 

今日の記事は、思考で読むと唸ってしまいますのでご注意ください(笑)

 

読んで頂き ありがとうございます。

 

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  • コメント: 2

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コメント

    • みきもと
    • 2016年 4月 28日

    記事を拝見させていただきました。
    大変興味深い内容だったので、いままでコメントというものを一度もしたことがありませんが、僭越ながら投稿させていただきます。
    私は今、ちょうど”内側”と”外側”という既定概念に疑問を抱き、その境目はどこなのか、そもそもその境目は存在するのかと思考を巡らせています。
    今回の記事で、私にはデータが消えたとしても、内外という”あるもの”が消えるようには感じませんでした。私ではないなにか、がそこに残る気がしてしまいます。それは”人”というものではないけど、たしかにあるものです。”ある”ということは、それと同じではないものが存在しているからそう言うのではないかと感じます。
    他のコラムにありましたが、それはまだ私が、自分が”人間である”というエゴで考えているからでしょうか?
    不完全な文で申し訳ありません。

      • Sachi
      • 2016年 4月 30日

      みきもとさん♪

      いままで一度もコメントしたことがないとの事で、初コメントして頂いてとっても嬉しいです~♪
      ありがとうございます( *´艸`)

      データが消えたとしても内側と外側が消えるように感じなかったと言うことなんですね。
      そうですね。。。これらについての記事の特徴は、言葉では説明できない分野についてを書いているため
      伝えようと言葉に変換しても常にピッタリな言葉にはならないのと、あくまでも私の表現しやすい文章でしか書けないので
      より思考をグルグルさせてしまったらごめんなさいなのですが(^-^;

      でも、それを踏まえてここをもう少し補足するのなら・・・
      もしその『残る』と言う言葉を使って表現してみるとします。 
      そうした場合でも、『同じではないものが存在している』とはならないです。

      残ったその『在る』は、あらゆるものすべてなんですが、それは残る前からも『あらゆるものすべて』だったんです。
      それ以外の『他のもの』は最初から『ない』んです。
      それを『他のものがある』とするのが人間の自我なんですね。
      なので、『残る』と表現する方を用いたとしても結果は、そうではないものはない、になり同じ結論になります( ^^)

      他の記事も読んで頂いてありがとうございます♪
      私もまだライティングが上手くない為、少しでも分かりやすい文になるようにしていきたいと思います(^o^)
      コメントありがとうございます☆
      Sachi

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