ノンデュアリティ☆「誰もいない」なら私は誰でどこにいるのだろう?

sora

言葉にしてしまうと

「誰もいない」

と言うことになるのが

ノンデュアリティです。

 

その

誰もいない とは

行為者などと言う者は

どこにも存在していないよ

と言うことなのですが

 

思考には、これが

さっぱり

まったく

理解できませんから

私は生きていると言いはります。

 

「私」が考えて

「私」が決めて

「私」が行動しているじゃないかと

 

私はここにいて

こうして紛れもなく生きているじゃないかと

思考は言います。

 

では

その「私」とするものは

「何」なのでしょう?

 

「私」とは

身体ではないことは明白です。

 

「私」が身体であるのなら

身体はいくらでも

「私」の思い通りになるはずだからです。

 

でも

そうはならない事をあなたは知っています。

 

同じように

感情 でもないことを

あなたは知っています。

 

そして

思考 でもないことを

あなたは知っています。

 

あなたが「私」だとするものは

どれもじっくりと観ていくと

そのどれでもないことが分かります。

 

こんなに確かに観じられる

その「私」は

どこにもいないのです。

 

けれど

どこにもいない

のではないんです。

 

見ることができないのです。

 

そのすべては

単一の

「それ」

だからです。

 

「それ」

そのものだからです。

 

同じように

「私」以外のすべてもまた

「それ」

にいきつくことになります。

 

なので

分離しているものは

どこにも、何もない

と言われるわけです。

 

「誰もいない」

行為者はいない

と言う 気づきが

ノンデュアリティです。

 

言葉にすると

なんて軽いんでしょう。

軽いを通りすぎて

チャラくさえ思えてきますが。

 

でも

この「気づき」が

たくさんの人に起こるといいなと

私は思うのです。

 

なぜなら

自分虐待(一人SMとも言う・笑)と言う

無意識な日々から

目覚めることが出来るからですね。

 

 

読んで頂きありがとうございます

 

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コメント

    • 美空
    • 2017年 1月 30日

    Sachiさん♪

    本当にそうですね。

    何かあると、自分と思っている私を責めたり…自分ではないと思ってる誰かを責めたり、そんな繰返しをしています。

    その時は、苦しみがあり今にはいません。

    過去のこと未来のことに想いを馳せています。

    これをやめるには気づくこと以外に無いんですね!

    それと共にあることしか…それが自分なんですね。

    ありがとうございました☆

      • Sachi
      • 2017年 2月 01日

      美空さん♪
      ほんとうに思考と言うものは、気づかないうちに
      イマココから見事に引き離しますよね~(^-^;
      引き離されても、気づいたら戻る!!の繰り返しですよね(^o^)
      コメントありがとうございます☆
      Sachi

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