Sachi です♪
トラウマや心の闇とかって、克服するもの、乗り越えるもの なんだって、人間意識が強かった頃は、私もそう思っていました。
ですが、それは克服するとか乗り越えるものとは違うものだよ、って今なら言い切ります。
克服する・乗り越えるって、どこからやって来たものでしょう?ってことです。
いつもそれはどこから来たか?が大切ですよね。
ハートは、トラウマなんか克服するもんだから克服しろ!、頑張って乗り越えるもんなんだよ!など間違っても言いませんから、その声の主は恐れからやってきたエゴの声ですよね。
もしそのエゴの声を聴きいれて、そうだ克服してやる!とか、乗り越えて見せる!と言う流れになっても、きっとうまくいきません。って言うか、もっとしんどくなっていくと思います。
何故ならエゴから始まることって言うのは、フォーカスするところが歪んでいるからです。
エゴは、表面に出てきた事、目に観えること、起こった状況だけにしかフォーカスしないからです。つまり視野が極狭です。起きた出来事にだけフォーカスしてますから、それではいつまでたっても何年経っても無理なんです。
それだとずっと自分は、被害者意識のままなのです。
エゴは特に被害者意識が好きでずっと持っていたいのです。
こんな目にあったのだから!!こんなに苦しい思いをした!!・・・どこまでいっても被害者の感情しか持とうとしません。だって私は悪くないから!が根底にあるからです。
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でも、それは本当でしょうか?
自分が自分を悪くないと思うとき、相手もまた、自分のことを悪くないと思っています。
ある意味、みんな自分は悪くないと思っているから生きれるんです。あとで後悔していたとしても。
それぞれに良くも悪くも言い分があって、それに必死ですがって生きているさまがストーリーですから。
そして
そのストーリーから、すこしだけ視線をずらすことが気づきなんです。
それを意図的にいざなうのが、自分への問いかけなんです。
だからわざわざ克服しよう!とか、乗り越えよう!と必死で頑張る必要はないんです。
気づきが始まっていけば、やがてそれはトラウマでも心の闇でもなかった、誰も自分を苦しめてはいなかったとわかります。
もし、あなたがずいぶん大人になった今もまだ、心の傷を思い出した時、当時と同じ感情がわき起こるのなら、あなたは辛い、悲しい、嫌だと言いながらも、そのストーリーに自らすがって生きていることに気づくしかありません。
忘れてしまいたいと言いながらも、今日までずっと大切に持ち続けていたのか、と気づくしかありません。
でもまだそのゲームを続けたいと言うのなら、それも構いませんが、
いまここに、そろそろ戻って来るのもいいのでは?
読んで頂き ありがとうございます。
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