恐れを手放せないのは何故?恐れているものを知りエゴと一体化しないほんとうの自分でいる

Sachi です♪

今日は満月のクリスマスなんだって~、っと呪文か合言葉かと言うくらいに聞きました・・(+o+) でも今日はそんな話ではありません(笑)

 

『恐れ』について、少し書いてみたいと思います(ここを話し出すと結局 全部になるので少しで)

 

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恐れ

人がそれぞれ『恐れ』ているモノは、世代によっても違っても来るでしょうが、最初は色々なモノが出てきたとしても、その根源を掘り下げれば、結局 一言でカタがつきます。

 

『死』なんですよね。

 

自分の死 ももちろんですけど、家族や親友やペットの死も同じく入ってきます。

 

今日の話は結論から先に言わないとエンドレスになってしまうので言いますと、『死』の恐れからの解放されるには、エゴの思考でない、ほんとうの自分で在る時だけです。

 

『死』を恐れているのは、『あなた』は自分が恐れていると思っているでしょうが、そうではありません。あなたの中のエゴが恐れているだけなんです。

 

なので、あなたがエゴの思考で人生を生きると、とたんに平和や安心・安全を追い求めることになります。 何故なら最終的には『死』が怖いからです。

 

なので安心・安全・平和・安定・・などを『失う』ことが怖いのです。

 

自分が持っているモノはどれも失いたくないっと恐れているんです。 エゴはこのように、いのちでさえも自分が!所有しているのだ!っと思っているんですね。 自分がコントロールしている、出来ると思っているんです。

 

なので、「恐れを手放せないです」っと言うのは、単にエゴと一体化しているときの思考なので、そりゃそうでしょうね、っと言うほかないんですね(;^ω^) エゴと一体化している時は誰でもそうなりますよってことです。

 

過去にも書いたストーリーにしがみついているから、っと言う言い方も出来ます。(過去記事:母親との関係が苦しみを生んでいた・自我(エゴ)の思い込みを見つけて終わらそう

 

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では何故、そのストーリーにしがみついているんでしょう?

 

それは、あなたの中のエゴ(自我)にとっては、得なことが隠れているからです。なのでちゃんとそれを見てあげてくださいね。ただしエゴが考える 得 ですからね、へんてこな得になっていたりもしますよ。

 

極端な例を言うと、普通は病気にはなりたくありませんよね、でもエゴの得では、病気になればみんなが心配して優しくしてくれるから病気を持つ方が 得 って言うことになったりするんです。ねっ、へんてこな得でしょ?(・ω・)

 

話を戻して、

エゴにとっては「死」は怖い。それでいいわけなんですね。至って自然なことです。それでいいんです。

 

ただしそれを、「死」を悪いこと、不吉なこと、っと判断してしまうのは別のことなんです。

 

判断・批判・拒否が入った時点で、それは偏っている捉え方の完成になっています。

 

偏ったものは「思い込み」ですから、それがあると恐れはパワーアップする事になります。

 

この「思い込み」に気づいて解放して中立の地点に戻れば、死はただ死になります。恐れにパワーを与えていない状態になります。

 

対比するもので成り立っているこの幻想現実の世界で、「死」を拒絶すると言う時、それは同時に「生」も拒絶しているか、執着しているかのどちからになります。

 

このように 死でも生でも偏った時点で とても歪んだものになるわけなんです。

 

それはすべては表裏一体だからです。 表と裏の二つはどこまでも価値は同じ(価値観は違っても)なんです。 ただこの世界での表現の在り方が違うだけなんです。

 

これを知っているのが、あなたのハートのずっと奥の奥・・・本当のあなたがいる 意識 なんです。そこに気づいて、その意識から世界を見てください。

 

その意識にいるとき、あなたは何も恐れるものがないのです。

 

読んで頂き ありがとうございます。

 

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