Sachi です♪
互いが世界を想像するモノとして、
私の中で絶対に譲れないものがあります。
それは、『 共に栄える 』っと言うことに反したことについてです。
そのことは絶対に譲りたくありません。
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『 自分も OK 、相手も OK 』
これが共に栄える基礎だと思っています。
それなのに、自分がOKで相手がNO 逆に、自分がNOで相手がOK でいるなんて言う、存在の在り方(意識の在り方)は間違っています。
それに、この基礎の上に成り立っていないものは、たとえ最初はうまくいくように思えても、必ずいずれ滅びます。
どちらかが NO (歓びではない)なら、それは繁栄などしない、出来ない、と言うのが私の意識です。 どこかの国のように、たった一人だけが自分にOKで、国民がNOでは、国が栄える訳がないですよね、ってことです。
これは色んなシチュエーションに当てはめればすぐに分ると思います。
家庭で、学校で、職場で、社会で・・・自分がOKで良くても、周りがそれに対してNOなら、いずれ不満が生まれて問題勃発ですよね?
共にOKな道を見つけるってことは、共に栄えていこうとすることであって、共に歓びから生きあおうってことなんです。
でもそもそも最初の基礎が成り立っていない所から始まっているなら、それは滅びることが自然なんですから、素直にその自然な流れに乗って滅びればいいと私は思います。
ですが、それをエゴの奴隷になっている人に伝えてみても、まったく理解が出来ません。
なので自分がNOを引き受けたり、押し付けられたり、または誰かにNOを押し付けたりと、エンドレスな騙し続けあいゲームをしている事に気づきません。
わたしたちの本質は、共に栄えあう、と言う歓びのエネルギーです。
共に。がなければ、栄ないのです。
『 共に栄える 』っと言うこを決して忘れてはいけない。
それは絶対に譲れないこと。
読んで頂き ありがとうございます
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