Sachi です♪
幸せな人生がいい。
幸せになりたい。
幸せでいたい。
ドMでない限り、誰でも自然に願うこと。
なればいいし、なったらいいし、それがいい。
だけど、最初からここでバラツキが出ているんだよね。
バラツキとは定義の違い。
何を「幸せ」と定義しているかってこと。
人によって違う定義。
なら、「幸せ」の答えって、一つではないと言うことだよね。
でも私たちは、 “ 一つの正解がある ” わけではない のに
一つの答えがある と錯覚して「幸せ」を求めたりもする。
他にも、誰かからすり込まれた定義を、自分の定義だと思い込んでいる場合もあるし。
この場合の多くは、親であったり、先生であったりで、
子供だった頃に気づかないうちにすり込まれているもの。
この場合は「幸せ」の定義がエゴから始まっているものがほとんどなので、大人になり苦しみが始まる人は、この定義を持っているのがほとんど。
別の言い方をすれば、
【「幸せ」とは、その人が何を信じているか 】
なので本当の自分と同じものを信じている場合は苦しみはやってこないけど、人の幸せの定義がすり込まれていると、やがて本当の自分が感じる幸せとは異なるので その食い違いが苦しみになっていく。
自分が信じている幸せの定義を、押し付ける(すり込む)エゴ的定義の宝庫の王者は、結婚、子供、女性、男性、などがそうですよね。心当たりや耳にしてきた記憶あるある だと思います。
ただ、そういうハッキリとしたテーマだけでなく、例えば 人を羨ましく思う ときなんかもそうで、
羨ましいと言うのは、相手は持っていて自分にはそれがない と言う答えをエゴが出した時に 羨ましいと言う感情が湧き起こる。
エゴはまたそこから、
【相手は持っている、自分にはない。】を、【相手は持っているから幸せ 、私は持っていないから幸せではない。】と答えを出す。そして
その答えを自分が本当だ とした時に 苦しみは簡単に生まれてしまう。
さっきも言った【「幸せ」とは、その人が何を信じているか 】だから。
そうなると、相手が持っているものを 私も手に入れれば 幸せ = 苦しみから解放される となって(信じて)しまうので、変な行動に走って行くことになる。。。
仮にそれをうまく手に入れたとしても、所詮それらはすぐに通り過ぎていく「幸せ風のモノ」であって、あなたがそれらで「幸せ」を観じきることは出来ないのです。
なぜって、本当のあなたの「幸せ」の定義とは まったく違うものだからです。
人の幸せと自分の幸せは違う。
人の幸せの感じ方と自分の幸せの感じ方は違う。
なので自分にとって「幸せ」とは何か? がハッキリとしていないと、ずっと人の定義にユラユラ、グラグラすることになるんですよね。
ただし、自分の定義をちゃんと持ったところで、それがエゴから始まっている限りは、苦しみは常に生まれるってことになるので、そこは要注意ですね(・ω・)ノ
読んで頂きありがとうございます
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