Sachi です♪
例えば、挨拶をしない人、ありがとうを言えない人、ドタキャンをする人、などの人に対して、空・ノンデュアリティの解釈だと、どのように捉えているでのしょうか? みたいな質問を頂きましたので、それと【常識】ということにつてい書いてみたいと思います。
実はこの質問、言葉にして答えるのは大変なんです。なぜなら・・・
空・ノンデュアリティに【解釈 】そのものがありません。【解釈】がないのが空・ノンデュアリティなのですから。
なので捉えるもなにもないんですよね。
ですが言わんとすることは、分かります。 けれども言葉で伝えるには限界を超えているんです。
でも「挨拶をしない人」を文章にするとこうです。
私はあなたに「おはよう」と言った。 あなたは黙っていた。
これで終わりです(^o^)
ですがエゴの世界からこれを文章にすると
私はあなたに「おはよう」と言った。 なのにあなたは黙ったままで挨拶をしなかった。なんで挨拶をしないの?・・・ みたいになります。
本人がそう感じたと言う感情の方がたくさん文書に付くので、ストーリーになっていますよね。
つまり「挨拶をしない人」というのは、エゴが活動して、相手の行動を見て、分析して、判断したその「結果」だと分かります。
なので「挨拶をしない人」に対して引っかかる、こだわっている以上、 空・ノンデュアリティの意識だと、これってどうなるの?とか、どう捉えるの?みたいなものには、こだわってはいけません☆
何故なら 引っかかる、納得がいかない、こだわる、等がある以上それが溶けるまで、自分自身に「気づいて」いくことが最も優先すべき大切なことだからです。その人が今、空・ノンデュアリティについて理解することよりも、いまあるそれがポイントなんです。急がば回れみたいな感じですね。
あなたの内側のどこかで、気づいてほしいと訴えているエゴがいるんです。
またこの時に「挨拶をしない人」に対して、事実だけをみて感情を揺さぶられないようにしようとする人もいますがそれも違います(見ないように、かかわらないようにすると言うような意味)
そのことに引っかかり、こだわり、納得がいかない、などがなければ、揺さぶられないようにしよう!など考えもしないからです。なのでこの場合も訴えているエゴをみることが最優先なんですね。
スポンサーリンク
次に「挨拶をしない人」に対して引っ付いて出てくるのが【常識】というやつ
私が挨拶をしたのに、どうして向こうは挨拶をしないの? 挨拶をするって常識でしょ!・・・よくある話です(^o^)
その時の【常識】に隠れているものというのは・・・・相手が間違っている、おかしい、だから負かしたい、そして認めさせたい、それから正したい・・・などが意識・無意識にかかわらずにあるんですね。
つまり【常識】という言葉で相手を責めているわけですね。 だってそうでしょ、常識的に考えて私は間違ってないし!みたいな。
なので非常識な人に対して一番憤慨して怒る、責める人というのは、最も【常識】の “ 奴隷である人 ” ともいえます。
つまり誰よりも【常識】的な行動をとっている人なんですね。
その人にとって【常識】は、「正解」であり「正しい」であり「正義」だからです。 それが良くも悪くも「思い込み」としてあると言う事ですね。
なので【常識】的ではない人を見つけるのも早いし(笑)、そのような人に誰よりも反応する。つまりスルーできないわけです。
ですが、まずここで考えてほしいことがあるんです。
スポンサーリンク
【常識】【常識】と言うけれど、それって一体何?
誰からそれを教わったの? 誰が決めたの? いつ決まったの? なぜ決めたの? 何のために? そもそも それってほんとうのことなの????
とみていけば・・・・いろんなレベルというか、クラスがあると言う事に気づきます。
地球では、世界では、昔では、今では、日本では、関西では、県では、社会では、学校では、地域では、家庭では、女性では、男性では、大人では、子供では・・・・・と、その区切りによっては常識も多様になってしまいます。
立ち位置が変われば、その常識すら変わるということですよね。
あれ? ということは・・・
【常識】【常識】と皆が当たり前に使うこの言葉だけど、たった一つの、唯一の、「常識」というものがあって、それを指しているわけじゃない、と言う事も分かりますよね。
となると、実は正体不明なワード。
そんな正体不明なワードである【常識】という言葉を引き合いに出してまで、何をしているのか?というと・・・・
それはさっきも書いたように、相手がおかしい、自分は間違っていないと言いたい、それを相手か、その周りに認めてほしい!知ってほしい!受け止めてほしい!と言うことが分かってきます。
そしてその原動力が「エゴ」です。
なのでエゴがフル稼働して働いている限りは、その枠(思考)からは出れません。
枠から出るには、それを認めない相手、周りに対して、自分とは違うものを選択しているだけ ということに気づくことです。
そして、自分が自由であっていいように、相手もまたそうであっても構わない、自分と同じ意見でなくても構わないと気づくことです。
腹を立てて違うだろ!と言っているのは、あなたではなく、エゴがそう言ってるだけなのです。
ではなぜエゴは腹を立てているのでしょう?
それはいつかどこかであなたも【常識】というものに服従させられた体験があるからなんです。または今、そうなのかも知れません。 そしてそこが無意識でも痛むからです。
また別の言い方をすれば、自分と違う選択をしていることに対して【恐れている】とも言えます。
恐れているから相手を認めれない、認めれば自分が負けてしまうから、というような思考パターンがあるんですね。
エゴは生き抜くために戦おうするわけですが、でも戦う必要なんてありませんよね。
つまりこれらのことは、そうやってどこまでも、どこまでも、小さな世界(エゴ)・・・その枠の中だけで永遠に繰り広げられているんです。
いつもいつも・・・毎日、毎時間、毎瞬、すべての人の思考の中で休む暇もなく繰り広げられているんです。
でも、そこから出れば また違う側面が見えてきます。
【常識】の奴隷となった、その人のストーリー。
挨拶をしない人になった、その人のストーリー。
そうやって順番に視野を広げるように意識を広げていけば、いずれ 空・ノンデュアリティに触れることになるかも知れません(・ω・)ノ
内容の似ている記事
☆ 思考の思い癖グルグルスパイラル☆出発地点は頭ではなくハートから♪
☆ 自分の本当の気持ちが分からない☆苦手・嫌いな人に感情が反応どうすればいい2
読んで頂きありがとうございます。
スポンサーリンク
この記事へのコメントはありません。