Sachi です♪
先日、Yさんから質問を頂きましたのでシェアしたいと思います(^-^)
神社はどのような役割なのでしょうか?
神様は存在するのでしょうか? (質問だけを抜粋)
というものでした。ただこれでは少し漠然としているため、仮に私がこの質問に対して 神社の役割は〇〇ですね。神さまは存在します(しない)。
と答えたとして、Yさんは そうなんですね~なるほど~☆と終われるでしょうか? ってことになると、いやいや、ほんとうに質問したいことって そう言う事じゃないはずだよね~っと分かります。
何故ならその質問になる前の何かしらの思い入れがある方が ほんとうの質問なんですね。 だから私が知りたいのは、その何かしらの思い入れの方になるので 後日お聴きしました。
それを私の方で超要約と抜粋させてもらいますと こうです。
神様はなんとなくいるような気はする。
神社はそれぞれ強みが違ったパワースポット的な感じに捉えている。
自分の力ではどうすることもできない事に対して(例えばご縁とか)その分野に長けた神様にお願いすれば、奇跡的な何かを起こして願いを叶えてくれたり、導いてくれるイメージがある。
あちこちでお願いしてる人は、より願いが届きやすいのか?それとも神様同士も派閥があって逆効果なのか?と疑問にも思う。
神社では、よほどのお願いがないかぎりお願いはしない。
けれどそのお願いが過去に一度だけあった(一日の中のたった数時間についてのお願いだった)が願いは届かなかった。その願いは、自分もみんなも幸せになるお願いだったのに届かなかったことで日頃のおこないを責めたりした。
神社はやはり願いを聞いてくれるところではないと再確認し、神社とは感謝するだけのところと捉えている。
神様もいるとは思うが、神様に愛されない人間もいるのかなっと捉えている。
では「神社」につてい書いてみようと思います(・ω・)ノ
ただ私の場合は、神社はスピリチュアル領域のものと捉えていますので、ここに空(くう)が出ると話がややこしくなるため、空(くう)はスルーさせてもらいますね。
神社は、過去にも書いてきましたが「意識の在り方」を表しているので、Yさんが言うように 「それぞれ強みが違ったパワースポット的な感じ」の「強みが違う」の部分が、「意識の在り方の違い」 という感じになりますかね~。
ならその分野に長けている神様に、お願いをしたら叶うのか?と言うと、それは違うんですね。 神社は 意識の在り方を示している だけなんです。なので神社に行ってお願いをしようとする以前に、そもそも本人が日々どんな意識で生きているのか?どんな意識でいようとしているのか?いたいのか?ってことがポイントになるんですね。
それがまずあって、その覚悟をそれに合った、またはその意識に触れたい神社へ宣言をしに行く場所です。(または感謝だけに)
なのでその意識の在り方に触れたい、触れよう、触れて自分の意識の在り方がブレないように ここ(神社)で感じる感覚を覚えていよう、みたいな感じになります。
そのため参拝をすると 自然に感謝の言葉から始まるわけなんですね。いつもありがとうございますと。 そして自分がその意識を持ち、自分だけでなく周りの人の歓びに繋がりますように等の願いを伝える(祈る)、それが「宣言」すると言うことなんですね。
ですのでどこまでいっても「神社」は自分の意識と向き合うところ、その感覚を感じるところ、いまここにいることを素直に感謝できるところなんですね~。
だからお願いごととか、パワースポットだとか・・・そのような気持ちで出向いても構わないけれど・・・本人が日々、そしていま、どんな意識であるのか?というところに戻ってきますよと (^_^;) 自分が与えたものしか受け取れないみたいなことですね。
だからあちこちの神社でいくらお願い(我欲ならより)をしたところで・・・そもそも論ということになりますね。
それにおかしいと思いませんか? 神社が 人々の願いを叶えることが出来るのなら、世界はこんなことにはなってないでしょ!って、ここもそもそも論が始まってしまいますよね(^-^)
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じゃあ、お願いごとなんて出来ないの?
してはいけないの?となれば、そんなことはなくてお願いごと(祈り)があるなら、神社でしてもいいですけど、自分の部屋でもどこでもリラックス出来るなら、どこででもすればいいんですw
じゃあ、我欲じゃないなら願いは叶うの?ってなると・・・
その 叶う・叶わない という物ごとの見方を 変えていかないといけないんですね。
そうでないと自分以外の誰かが権限を持っている、パワーを持っている、それに左右される自分 となってしまうため 叶わなかった場合に、自分の願いは届かなかった~(◞‸◟)と被害者の気分になってしまったり、Yさんのように自分の日頃の行いを責めてみたりと しなくてもいいことをしてしまいます。
それに、いくら自分とみんなのための願いだとしても、誰かを不幸にする願いではなくてもですね、何かをコントロールしよう、コントロールしたいというものは願い(祈り)とは違うもの ということも理解しないといけなんですね。
そして、そこまで理解した上で お願いをしたとしてもね、結果は お任せなんです。これがほんとうの意味での天にお任せ、ゆだねる ですね。だから願いが届かなかったという結果が出ても、ダメなもの、ダメだった、きいてくれなかった、という受け止め方は違うんですね。
その人にとって、その結果がほんとうのベストだったということです。 もちろんそう聞くとエゴはすぐ出てきて、そんなことあるわけない!これがベスト?んなわけないでしょ~!!などといくらでも叫ぶでしょうが(^_^;)
けれど、例えば本人は気づいていなくても、龍神が強く出ている人がいるとします。そういう人は自分の大切な行事に限って雨が降ります。でも本人はそのことに気づいてないので、雨が最悪だと思っています。けれどその最悪な雨は 実は龍神からの祝福 なんですね。なので祝福が花びらの人がいたり太陽やキラキラの粉など様々あるように、その人はそれが雨だったということなんです。
そんな気づいていない人にとっては、雨で最悪~(ノД`)・゜・。のことも、エゴから抜け出して 目には観えない側面をみていけば、本人が知らないだけで いつだって応援されているし祝福されていることが分かるんですね。
エゴに惑わされて、自分は祝福なんてされてない!実際いいことなんて何も起きていない!といくら思っても、この世界に参加している時点ですでに祝福されているんです。残念ながら(笑)
そして スピリチュアルでいう大いなる神とか、すべてなるものと表現するものと、神社の神さまというのは別なので、神社の神さまはいるの?と聴かれれば、いる と言います。意識の在り方のエネルギーとしてね。
ですが、スピリチュアルでいう大いなる神とか、すべてなるもの、創造主というものの方は、私はそれらを「いのち・愛・エネルギー」として観じており、捉えているため、私はそれを「神さま」とは思っていません。
そして最後に Yさんの「神様もいるとは思うが、神様に愛されない人間もいるのかな」に対してですが、以上のことをお伝えしたので、そんな人はこの世界に存在しないと分かって頂けたら嬉しいです☆ 結局ちょっと空(くう)よりになったかな~(^_^;)
読んで頂きありがとうございます。
今日もあなたが歓びに包まれますように☆彡
相性が合う神社を見つける方法はたった一つの基準で決めるのが一番☆
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