Sachi です♪
観る側と観られる側は同じである。
これは量子力学ではすでに言われていますよね。
つまり、私が観察をした時に初めて、そこに観られるものが生まれるわけです。
それまでは無なんですよね。
ただし、この無っと言うのはなんにもないの無ではないですよ。
全てがある有と、表裏一体になっている無、ゼロポイントのところの無です。
もっと乱暴に言ってしまえば、有=無であり、無=有 っと言うザックリしたイメージでもいいんじゃないかと。
じゃあそこに、私たちは何を観ているのか?
それは各々が、信じ込んでいるものだけで出来た世界を観ています。
なので自分の信じたものしか観れない世界とも言えますよね。
それは意識・無意識、関係なくです。
っと言うことはです、あなたが観ているものは、あなたが信じて疑わないものなんです。
どこに行っても問題のある人がいて困る、っと言う現実をいま観ているのなら
あなたが、私は必ず問題のある人と出会ってしまう、っと言うのを、絶対的に信じているからです。
その問題のある人に振り回されている、っと言う現実をいま観ているのなら
私はいつも問題のある人に振り回される事になる、っと言うのを、絶対的に信じているからです。
現実でいま、そのような状況になっている場合に、このことを認めれる人は少ないでしょう。
でも、どこまで行っても、あなたが先なんですよね。
何故なら最初の、観る側と観られる側は同じである。からですね。
それを観ているのは、あなただけだからです。
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それでも、まだ信じられませんか?
それでもまだ信じられないと言うなら、
それこそが、答えですよね。
ここは、自分の信じたものしか観れない世界 でしたから(^^♪
だからと言って、それが良いとか悪いとかって言ってるんじゃないです。
べつに何を信じても構わないんです。
何かだけが崇高だとか、信じるならこれ!っとか、人に決められるのはおかしいですし。
ただ、自分が今まで信じて(思い込み)きたものによって、自分が制限され生き辛いのなら、
その信じているものを、捨ててしまえばいいよね。と言うだけです。
いまのあなたには、もう必要ないんだから。
そして自由に観察していい。 それならほんとうに観てみたいものは何なのか?
ほんとうに観てみたいものに対して、恋い焦がれる観察者の方が 楽しいと思いませんんか♪
読んで頂き ありがとうございます。
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